|
町のオモチャ屋はどこに行ったんだい。これは、大型店があふれ、商店街が閑散とし、個人商店の生き残りが極めて難しくなっているから、などと、当たり前の事をいっているのではありゃーせん。オモチャ屋という形式が解体され、オモチャという枠がいつのまにか、消えかかっている事実をいっているのであります。このごろ新しくできる大型ショピングモールを色々探してもオモチャ屋は見つからない、「オモチャ」は知らぬまに、ファンシー雑貨、科学雑貨、和雑貨、ギフト、ホビー・インテリア雑貨・キッズ・ベビー・フアッション雑貨などにクラス替えされている。それはちょうど、学校を休んだ時に席替えされていた子どものように、取り残された感じをもってしまうのは私だけでございますかナ(?)。昨日までオモチャだった奴が今日からお前はファンシーになるんだよと、いきなり知らない所へ養子に行かされたような(?)切ない気持ちなど、個人的な思いはこの際置いておき、昭和48年まだ町のオモチャ屋が子どもと一体となって、これがオモチャだ!と胸を張っていた時代の商品を紹介したい。
「ダイカモデル」K/Kプラモデルから発売されていたこの商品、オイラはあまりよく知らないのだが、当時の広告をじっと見ていると、なんか、オモチャしてるな〜という思いがふつふつと湧いてくる。「ダイカモデル」は「走らせる!身につける・飾る」の3つを楽しめるオモチャである。たしかに、モデルの子どもの服にはペンダント、ブローチ、バッジとダイカモデルがとまっているように見える。ダイカというぐらいだから特殊合金なんだろうが、すごく重そうだ。「ズッシリとくる手ごたえ」とよくみると書いてある。「走らせると10メートルは走ります」とあるからすごい。それは「特殊タイヤによる成果です」と言い切る自信に昭和の押しの強さをみることができる。
種類は6種類でディスプレイ付きで150円。合金でこの値段なら子どもたちはたまらなかったはず。オモチャ屋の親父が子どもの胸に「ダイカモデル」を付けてやってる当時の様子が見えるようだ。
|